悲しみよ、こんにちわ。


※今回シリアスです。


俺がまともにキャバクラに通うようなことをしなくなって何ヶ月か経つが、お店で知り合って今も知人として繋がっているコが何人かいる。
そのなかでも、かなり突っ込んでお互いの話をしたコがKだ。
Kは、あまりキャバクラ然としたコではなかったが、他のコと少し違った魅力があり、某という店では指名ナンバー1だった。
Kは精神的にとても弱いところがあり、ことあるごとに泣きそうな顔を浮かべた。実際お店が終わるたびに誰かに言われた小さな言葉で傷つき、泣いていたという。そんな、あまりお水向きでないところが、逆に一部の男達を惹き付けていたようだ。
もちろん、俺もそのうちの一人だったわけだが、どういうわけか彼女のほうも俺には気を許してくれた。
お店に関係なく食事することも何度かあったが、去年の暮れからしばらく連絡しないでいると、先月彼女のほうから電話があった。

お店を辞めたという彼女に、俺は、

向いてなかったと思うから、間違っちゃいないよ。

と、言いながら、食事に誘うと喜んで付いてきたので、軽くドライブして、その後悪くない雰囲気で夕飯を共にした。

実は言うと、Kはあることで思い悩み、カウンセリングに通っている。
いわゆる「鬱」症状として処方薬も出ているほどに重く苦しんでいた。
向き合って話をしていると彼女の繊細な心が痛々しいほど伝わってくる。
俺は慎重に言葉を選びながらも、このとき普通の男なら言うであろう言葉を人並みに胸のポケットに忍ばせていた。

俺なら、彼女を守ってやれるんじゃないか。

浅はかだが、そんな気持ちが確かにあった。
今こうして仲良く話をしている空間が、二人だけのものになるのに何も疑う理由がないような気がした。
しかし、実のところ俺はもう長い間、この言葉をポケットから取り出したことはない。
俺と接したすべての女性達に、俺のその言葉は望まれていないのが理由である。
空しく捨てられるだけの自分の大切な言葉を、簡単には手渡せなくなっていた。
案の定というか、彼女は遅くなったから帰ると言い出したので、

まあ、そうだろう。

と思って家の近くまで送ってあげた。

楽しかったよ。

そう言いながら、車から降りた彼女が笑顔で手を振った。
が、その瞬間、俺は彼女の切なそうな目を見て、急に得体の知れない不安を感じた。
俺はすぐさまサイドブレーキを引いて、車から降りると、唐突に握手を求めた。
彼女は一瞬、きょとんとした顔をして俺を見たが、優しく俺の手を握ってくれた。
その痩せた指がまた俺を不安にさせたが、また来週にでも逢うことを約束すると、ようやく少し安心して車を走らせることが出来た。

数日後、Kに電話するが、電話は延々コールを告げるだけだった。
その後、折り返しの電話もなかったので、以後ほぼ毎日のようにKに電話することとなる。
ところが、幾らコールが鳴っても、呼び出し口からいつもの少し怯えたようなか細いKの声は聞こえてこなかった。

俺は不安になった。
あの晩、俺は彼女に不快な言動をしただろうか。
頭を巡らせた。
それなら、それでむしろホッとする。
もっと怖い、何か良くないことが彼女の身に起こったんじゃないだろうか、と思うよりは。

それでも、Kと連絡が取れない日が何日か続いた後の、先週の日曜日。
朝の五時という太陽もまだ顔を覗かせていない時間に、唐突に彼女から電話が鳴った。
俺は、前の晩にニ時まで一人で呑んでいたのだが、なぜかそのとき目が覚めており、瞬時にその電話を取ることが出来た。

××さん。。。

蚊の消え入る声で彼女は俺に呼び掛けた。

あたし、どうしちゃったんだろう。。

その声にはわずかの張りもなく、なにか針の穴ほどの落とし穴があれば、そこに飲み込まれて消えてしまうような声だった。

危うい。
受話器を通して、その危うさが肌に染みた。

なんとかしないと。

俺は出来る限り穏やかな口調で、敢えて今まで尋ねることはしなかった、彼女の悩みの真相を聞くことにした。
彼女の口から幾つかの言葉が綻ぶように零れ落ちた。
俺は、ここで初めて彼女が、俺なんかには一生分からないほどの、深く大きな、そして堪え難い傷を持っていることを突き付けられた。
恐らくそれは、どんな有能なカウンセラーにも消し去ることが出来ないだろう。

彼女の告白には俺自身、かなりの動揺を受けたが、なんとかそれを覆い隠すと、彼女を少しでも楽に出来る方法がないか考えた。
とりあえず、無責任な励ましは彼女を逆に苦しめるだけである。
俺は、ただ、俺自身がKに逢えて良かったと思うことと、今こうして誰よりも真剣に話を出来るのは、Kが苦しんでいるからで、苦しんでいることそのものにも、意味があるんじゃないか、というようなことを口にしていた。
しかし、これらはとても良い言葉だったとは言い難い。
俺は、先日彼女に向けて言おうとポケットに仕舞い込んだ言葉を、今度こそ取り出してしまおうかとも考えた。
しかし、彼女の答えは聞かずともすでに分かっていた。
今、ここで想いを投げかけるのは彼女を余計に苦しめるだけである。
結局この言葉は口に出来ないまま時間が過ぎ、しばらくの中途半端な慰めを続けた後、Kは感極まって泣き出すこととなった。
それでも、彼女の泣き声を聞いて、俺はようやく少しホッとした。
感情を彷佛させるのは悪くない。
哀しい時は素直に泣くのが良いんだ。
俺は黙ってKの泣き声を聞いていた。
何か気の利いた言葉の一つでも発せられれば良かったのだが、残念ながら何一つ出て来なかった。

しばらくして、Kは泣き止むと「少し落ちついた」と言った。
彼女の根源に対する不安は払拭したわけではないが、「変な電話してゴメンね」と謝ってきたので、「俺で良かったら、いつでも」と言って二人は電話を切った。

俺は、電話を切った後も、しばらくの間、繋がらなくなった携帯を握り締めていた。
そして、思った。
自分の無力さを。

もしも、もしも、俺の口が彼女に「好きだ」と言う、そのこと自体が、彼女の励ましになるとしたら、なんて幸福なんだろう。

哀しいかな、俺のその言葉は、彼女を不快にするだけだ。
彼女はどこかで誰かに愛され、誰かを愛し、今は、そういうことがあるのかないのか、それすらも分からないけれど、しばらく後には、別の誰かに愛され、またその誰かを愛するのだろう。
俺は、その狭間に、入る隙間もない程度のわずかの狭間にわずかに顔を覗かせて、彼女が幸福であることを望み、彼女を幸福にすることが自分の幸福であることを望むだけの、薄ら寒い存在だ。
どうあがこうと、俺はここから抜けだせない。
そして、これはKとの間で初めて感じた問題ではなく、しばしば俺に現実を突き付けるのだ。

俺の周りには他にも、優しくて、その優しさゆえに傷つきやすく、心を痛めている人間が多い。
たまに連絡を取ると、涙を見せるコもいる。
何年か前のことだが、あるとき、ひどく落ち込んでいたコに、俺はつい困って「ごめんな、良い励ましの言葉が浮かばないんだ」と正直に口にしてしまうと、冷めた口調で、「いいよ、そんなの望んでないから」と一蹴されたことがある。
俺は情けなさで胸が裂けそうだった。
そのときから、頭を打ち付ける程に、この下らない自分という存在でも何か出来ることがないか、と考えていたのだが、今の今になっても、何も浮かんでいないことがKの電話で分かってしまった。

ただ、想ってもしょうがないことを繰り返し想う。

もしも、もしも、俺の手が誰かを抱き締める、そのこと自体が、誰かを少しでも安心させることが出来たら、どんなにか幸福なんだろう、と。

それだけは繰り返し、繰り返し、何度も俺を苦しめて止まない。
悔しいけれど、俺は全身で受け入れられるだけのものがない。
ただ、自分を呪うには少し歳を取り過ぎたようだ。

テレビをつけると、アメリカのイラク侵略を目の当たりにして、ヨルダン在住のイラク人の男性がバグダットに残した家族のために、故郷へ帰りアメリカ軍と戦うというニュースを流していた。
果たして、彼一人が戦争に加わったところで戦局が変わらないのは明白だ。
それでも、彼は無力なりに、誰かを救うために行動しているのである。
俺は、彼が砂漠にライフル一丁で、強大なハイテク戦車の米英に立ち向かう姿を思い浮かべて、涙を流した。
どうも、最近は涙もろい。

しかし、他人のことではたびたび涙が出るが、思い起こせば自分のことで泣いたことが一度もない。
俺にあるのは、涙することもない幸福なのだ。
俺は、その日、
自分に襲い掛かるひたすら平凡な幸福が、腹立だしくなって、朝から酒を呑んだのである。

 

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