カッコ−の巣の下で

 

知り合った女の子たちに好きな異性のタイプを聞くと、「個性的な人が好き」だとか「変な人ほど好きになる」というような答えを返してくるコが少なからずいる。

こういう答えを聞いて、ひと昔前の俺は、希望を抱いたものだった。
なぜなら、俺は人から「お前は変だ」と言われ続けてきた男だから。
友人、知人、果ては家族まで、とにかくずっと昔からそう言われ続けてきた。

でも、俺は、
変だと思われて結構。むしろ、少しくらい変な人間だからこそ、並の人間と違うモノを創ることができて、いつか薄っぺらじゃないホンモノの恋人と幸せを分かち合えるさ。
そう希望を抱いていた。

例えば、どう考えても才能のない芸人や、ストリートミュージシャンなんかにも、必ずと言っていいほど、たった一人、彼らを見守る恋人がいたりする。

俺は、それが不思議だったが、同時に自分に対する希望にもなった。

しかし、全く、俺は間違っていた。

「個性的な人が好きだ」と目を輝かせて答えていた女の子たちは、しっかり堅実なサラリーマンと付き合っているし、「変な人が好き」と言っても、その対象はファッションがヒッピーっぽかったり、あとはせいぜいフランス映画に詳しいとかインディーズで売れない音楽やってるとか、その程度の「変」とはとても呼べない人たちと付き合ってるコしかいない。そうじゃなかったら、彼女たちが惚れるのは「変」というより「(母性本能をくすぐるような)ダメ男」とか「ワル」とかだろう。

彼女たちの受け入れられる「個性」や「変」な枠の中には、俺なんかは全く許容されていなかったのだ。

俺は「確かに自分には変なところがある」と自覚しているので、本当は大して変じゃない程度にしか思っていなかったのだが、他から見ると、そうではないらしい。

何度か打算的に、女性の中でも、変わり者と思われる女の子にアタックしたところで、結果は同じ。その前に、どれだけヒドイ男と付き合っていたかを知らされても、俺に対する答えはひたすら「ノー」だ。

度重なる失恋のショックに吐き気がするほど胸を痛めながらも、俺はそれでも当初、彼女たちが「間違った」判断をしており、自分はまるで「正しい」考えをもっているかのような気持ちでいた。

しかし、 これが大間違いだった。
答えは正反対だったのだ。
そう。
彼女たちは、常に「正しかった」のだ。

そして、これは社会も同じだ。
俺は、かつて創り続けてきたもので、そこそこ名前が知れたり、色々な賞を取ったり、招待されもした(とても狭い世界の話し)
しかし、そんなものは社会に出ると、何の役にも立たなかった。
この社会で俺は片隅に追いやられ、この歳になってもまともに生活すら出来ていない。

そんな社会を俺は、一時は愚かにも、利権とハッタリばかりのクズだ、と軽蔑していたこともある。
しかし、実際軽蔑すべきは社会ではなく、自分自身だったのである。
なぜなら、社会は、常に「正しかった」からだ。
俺を拒否し続けた女性たちと同様に。

20代前半から半ばまで、がむしゃらにモノ創りに励んでいたとき、

それでも、なんかの「間違い」でこの「正しい」社会が俺を許容したり、あるいは、俺のような男とも「間違って」付き合ってくれる女の子というのがいるのではないか、と思い続けた。

そして、この希望は逆に、俺をものすごく苦しめた。

どのような努力も無為な、全くもって、どこからも許容されない自分。
これを認めるのには、地割れのするような苦悩とともに、俺は貴重な20代の後半を浪費しなければならなかった。
社会は、間違いだらけだと思っていたが、こと自分に対する限りは、「間違って」存在を認めてくれたり、華やかな仕事を与えてくれる、といった「間違った」判断は一度も下してくれなかった。
同様に女性たちもそうだ。

まさに今ある現状。それこそが「正しい」のだ。

何度誰をどのように想って、想いを伝えたところで、女の子たちは、俺に「正しい」判断を下し続け、社会は俺を当然のように「正しく」無視し続けた。

とにかく、社会や女性たちには、「変」というか「受け入れ難い異質なモノ」を正確に見極め、排除する能力が備わっているということだろう。

仕事の売り込みに俺が自分の魂を込めて持ち込んだ作品が、目の前でゴミ箱に捨てられたとき。
とても大切に想っていた女性に命がけで告白した結果、返ってきた答えが小馬鹿にした嘲笑だったとき。

彼女たちや社会は、見事なまでに「正しかった」のだ。

俺は、すっかりアルコール漬けになり、こうしてわずかに言葉を並べる以外に、何か作品を完成させる力がなくなった最近になって、ようやく俺はそのことに確信を抱くことが出来るようになった。
ホント言うと、大体が、大したものなど創っていなかったのだから、こうなることは本当に「正しかった」。

仕事にありつけなかった日。
時折、俺は、前日の安酒が残る頭を醒ますため、 いきつけの喫茶店で独り、コーヒーを飲みながら、街ゆく人々を眺める。
足早に過ぎるサラリーマンに、幸せそうに手を繋ぐカップル。あるいは、虚ろな視線で段ボールを抱えるホームレス。

その総べてが、「正しさ」で満ち満ちている。

しかしである。
なぜだろう。
俺は、時々、 こんなにも正しい世界が、どうしようもなく腹立だしくて仕方がないのだ。。

 


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