メメント・モリ

 

俺は独りで夜の街を歩いていた。
ポケットに入っているのは、わずかのお金。だけれども、この堪え難い寂しさから一時でも解放されるなら、使い捨てても良いと思っていた。
かん高い声で誘惑する客引き達を振払いながらしばらく歩く。表通りを抜けて路地裏に行くと、小さな看板が目に入った。
「club Memento Mori」

メメント、モリ?

耳にしたことがある言葉だ。どんな意味だったっか?
特に目立つことのない店だったが、どうにも気になり、扉を開けた。
「いらっしゃいませ」
クラシックの流れる店内はとても小さかった。10人も座れば満員だろう。
他にも客がいたが、どの客も眠ったように静かな時間を過ごしている。
席に案内される前に、料金を確認した。
少し高いが、なんとか足りるようだ。
俺は少しのあいだ女の子の登場を待った。
すると店の奥から、光りを吸い込むような黒い髪と、触れたら汚してしまいそうなほどに透き通った白い肌を持った、とても愛らしい目をした女の子が、やって来た。
彼女はニコッと俺に笑いかけ、脇に座った。笑顔がとても知的な香りがした。

「はじめまして」

「どうも」

「エルフです」

「エルフ?妖精かい?」

「ふふ。そうかもね。お名前教えてもらっても良いかしら?」

「鉄だよ」

「てつ?」

「そう。金を失うって書いて鉄」

「鉄。鉄は、どこから来たの?」

「生まれは東北だけど、育ちはずっと東京だよ。このへんさ」

「そうじゃないわ。私が知りたいのは、今、鉄の抱えてるものよ」

「抱えてるもの?」

「瞳が霞みがかってる・・・」

「?」

「鉄はとても大きな孤独を抱えてる。鉄の孤独はどこから来たの?」

「なんだい、いきなり?なんで俺が孤独だなんて分かるんだい?」

「瞳は嘘付けないもの」

「人間は誰だって孤独だろう」

「そうかもね。でもね。人は皆それぞれ違う孤独を抱えている。孤独には色がついているの。人それぞれ幾つもの色があるのよ。知ってた?」

「色?孤独色?」

「孤独の色よ」

「目を見れば分かるのかい?」

「目を通して心を感じ取っただけよ。例えば鉄は・・・深紅・・・深紅な孤独」

「キミは詩人かい?(笑)」

「違うわ。感じるのよ」

「その色は良い色なのかな?」

「色自体に良いも悪いもないわ。ただ何かの原因があって、どれだけ深く、どれだけ魂に触れているか。幾つかの要因がその色にさせたわけ」

「じゃあ、深紅はどんな色なんだい?」

「深紅・・・。あなたの色は、とてもとても深いわ。鉄の魂はその底に沈んで、溺れかけている」

「・・・」

「誰かが手を伸ばす。でも、普通の人ではもう届かないところまで深く沈んでいこうとしている・・・」

「助からないのかい?」

「助かるわ」

「そう。でも、誰も俺なんかに手を伸ばしてくれる人はいないから無理だな」

「そうかしら」

「いるわけないさ。いたらそんなに深い色にならないだろう」

「あなたがそう想いたいだけじゃないの?」

「自分が孤独でいたいって想ってるって?」

「想い出して」

「?」

「これから少しのあいだ、私の言うことを信じてくれる?」

「どんなことだい?」

「私はね、人の心を癒す力があるの」

「精神科医かい?」

「違うわ。どんな医者でも直せないものはあるでしょ」

「まあね。でも何で君が俺を直すことが出来るんだい?」

「直すのはあなた自身よ。私はそれを手伝うだけ。良い?信じて。私の言う通りにしてみて。難しいことじゃないわ」

「分かったよ。どうすればいい?」

「少しだけ心を静かに考えてもらう。それだけ」

「・・・」

「鉄は、本気で人を好きになったことってある?」

「なんだい、それは?(笑)」

「いいから。答えて」

「・・・そりゃ何度もあるさ。全部振られたけどね」

「その中で、たった一人だけあなたの心に浮かぶ人を想って」

「たった一人?」

「そう一人。一人だけ想い浮かべて」

「・・・」

「鉄が、人生を、あなたの人生を賭けても良いと思った一番大切な人よ」

「・・・」

「浮かんだ?」

「浮かんだよ」

「そのコは可愛かった?」

「可愛かったよ、すごく」

「優しかった?」

「優しかったね、誰よりも」

「本当に好きだった?」

「好きだったさ。本当に」

「どのくらい?」

「さあ、言葉では言い表せないな・・・」

「そのコとの過ごしたことを想い出せる?」

「想い出せないことはないけど、もうツライ想い出だから想い出したくないな」

「大丈夫。今日は大丈夫だから」

「なんで大丈夫なのか分からない」

「あなたが人生で一番不思議だったことって何?」

「不思議?さあね。しいて言うなら今の自分かな。10年前だったら今の自分を見て驚いてるだろうね」

「じゃあ、今日から鉄が一番不思議だったことが変わるわ」

「・・・」

「今の私はね。そのコ。そのコは私なの」

「・・・」

「そのコと二人で一緒に出掛けたことはある?」

「あるよ。何度も一緒に時間を過ごしたよ」

「楽しかった?」

「楽しかったよ」

「キスは交わした?」

「・・・交わしたよ。とても熱くて優しいのをね、何度か・・・」

「幸せだった?」

「幸せだったよ・・・」

「ねえ。想像してみて。鉄はそのときから、今もとても幸せなの。ずっとずっと、とてもとても幸せ」

「ありえないよ」

「ありえなくないわ。想像してみて。その大事にしてた人はね、ずっと鉄の側に一緒にいるの。鉄が苦しいとき、そのコはいつも慰めて、助けてくれるわ。そのコが苦しんでいたら、今度は鉄が助ける番よ。そうやって、いつまでも、ずっと一緒にいるの。いつまでも、いつまでも・・・」

俺は思わず目をつぶり、もはやあり得ない、その世界に思いを馳せた。
それは何よりも幸せで、暖かく、望んでいた世界だった。

「・・・幸せ?」

エルフの声が心地よく響いた。一瞬、信じられないくらいに素直な気持ちになって、俺は答えた。

「幸せ、だよ」

その瞬間、突然俺の手をギュッという力の篭ったエルフの手が握りしめてきた。
不意のことだったからか、小さな電流が身体のなかを走り抜けたように感じた。
俺は我に返ってエルフを見た。
そして、ため息を吐いて、

「悪いけど、こんなことじゃ癒されないよ。むしろこの現実がツライくなるだけじゃないか」

と言った。しかし、エルフは無邪気に、口を開く。

「ねえ。もう1回想像出来る?さっきの世界」

「もういいよ。おとぎ話は」

「大丈夫。私はもう捕まえてるから」

「捕まえた?」

エルフは嬉しそうに手を広げてみせた。

「手の温もり。感情。鉄はとても熱い人。私のなかに広がっている。捕まえたの」

「ゴメン。何言ってるのか、全然分からないよ??」

瞬間、エルフの手が再び、俺の手を握りしめた。

「鉄の感情を捕まえたわ」

すると、俺のなかに暖かなものが広がった。
さきほどの想像の世界で感じた、幸福な感覚、感情だけが蘇ってきた。

「私は鉄の一部。私は鉄の一番幸福な感情を捕まえたの。そしてこの感情をいつでも鉄に伝えることが出来るわ」

本当に不思議な感覚だった。
俺はもはや何も想像していない。何も現実は変わらない。ただ感情だけが浮遊していた。
とても優しくて暖かで、心のほとんどを占めていた孤独感も不安もなく、満たされた感覚だけが全身に広がっていた。
そう。例えば失恋したときに自分を慰めるために聞いた曲がある。何年後かにその曲を聞いたときに、その失恋のときの切ない感情だけが蘇ることがあった。
まさに、そんな状況だった。
エルフの手の温もり。
そのなかから俺の一番の感情が流れ込んできた。

「想像してみて。あなたは孤独じゃないわ。あたしの中にあなたの一番大切な感情があるもの。今日からあなたの幸せは過ぎ去った記憶の一部じゃないわ」

「キミは一体・・・?」

「私はここにいるわ。いつでも逢いに来て。そして、必要なとき私を想って。メメント・モリ。店の名前を覚えた?」

「メメント・モリ。そうだ。聞きたかったんだ。何か意味があったはずだけど、どういう意味だったっけ?」

「ラテン語で「死を想え」という意味よ」

「死を想え・・・」

「そう。この店は死んでしまった大切な感情を想い出せる場所なの」

メメント・モリ・・・。


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