シュレディンガ−の子猫


2003年11月24日。

とうとう、このサイトで女性に逢う機会がやってきた。
我ながら、まさかの展開である。
相手の名前しず
チャットルームを、ほぼ紅一点で盛り上げてくれている女性である。
何度も言うが俺の恋愛は28年間、挫折しか知らないと言ってもいいぐらい挫折し続けている。俺と知り合う女性は、出逢う女性出逢う女性、同じ反応しか示してこなかった。
言うならば「ノーと言われ続けた日本人」である。
しかし、今度ばかりは違う。
このサイトでたっぷり俺の「負」の部分を知り尽くした上での出逢いである。

俺の、挫折し続けの人生に終止符を打つことになるのか。
人類の始まりはアダムとイブだが、このサイトの新しい未来を、独眼鉄としずで創っていくことになるのか。

緊張を抱えて、 メールで約束した時間に目的地に着いた。
すると、、、
なんと、そこには知性的な視線を抱えた美人が立っていた。
俺は、その姿を見て、

チクショウ!!この幸せものがっ!!!

いきなり自分自身を強烈にどついた。
まさかの展開である。
わざわざこんな美人が、馬鹿げたサイトの管理者のために時間を空けてくれたのだ。まさに奇跡としか言い様がない。
そして、その奇跡の相手と向った先は、ふぐちり屋であった。
今回は今までと違って、俺の奢りである。(笑)
はっきり言って、今の俺の資産には手痛い出費だったが、今日と言う日を祝うにはこの程度の豪華さでは変えられない。
冷たい風の吹く中、俺の先導で歩いて目的のお店に着くと、我々は向かい合って座った。
そして、
・・・


(中略)


・・・
そして、この店で我々は、お互いについて語り合った。
彼女が、この出逢いをどう思ったのかは知らない。
ただしばらくして、彼女は、門限があるからと席を立ったので、俺は、駅まで見送った。

それだけの出逢いだったが、俺は帰り途を、あることを考えながら歩んでいた。
量子力学の世界で有名なパラドックスとして挙げられる「シュレディンガーの猫」という思考実験のことだ。もっとも俺は生っ粋の文系人間なので、細かなことは分からない。考え方にだけ興味を持ったので、適当に聞き流してもらいたい。

その思考実験とは、まず扉の付いた密閉された箱の中にをいれる。さらに、その箱の中に、放射性元素と、その放射性元素が崩壊したときに発生する放射線によって青酸ガスが発生する装置も一緒に入れる。
放射性元素というのは、いつ崩壊するのか確率的にしかわからないものだ。

この一定時間の後に猫はどのような状態になるか。

特に、放射性元素が崩壊する確率としない確率がともに同じだったとき、果たして箱の中の猫は、生きているのか死んでいるのか?
もちろん、扉を開けてみれば猫の生死を明らかにすることは出来る。しかし、ここでの問題は、扉を開ける前の猫がどういう状態であるかということなのだ。
この問いの意味は、量子論についての理解が皆無だと、当然に箱の中の猫は生きているか死んでいるかのどちらかであり、その確率はそれぞれ50%と答えるだけだと思う。しかし、量子力学では、人間が観測する前においては「ある確率で起こること」がいくつも重ね合わさった状態をとると考えるのだ。つまり、箱の中では「放射性元素が崩壊(青酸カリが発生)した状態」と「放射性元素が崩壊(青酸カリが発生)していない状態」が50%ずつ重ねあわされている世界(パラレルワールド)が広がり、人間が猫の生死を観測することによって、初めて猫の生死は決定されると考えるのだ。

我々は、無数の人生の分岐点をかいくぐって今を生きている。
「運命」という言葉を持ち出すかどうかは個人の考え方次第だが、結果的には、過去から一直線で現在に続く道を生きたことになる。
しかし、シュレディンガ−が投げかけた問いを応用すると、別の考え方が出来る。

現在が過去を作る。

我々は、箱の外にいる。
世界には無数の箱があって、その箱の中にまた無数の「現在」が入っている。そして、その「現在」は我々がどの箱をどう開けるかによって握られているのだ。それぞれ違う箱のなかの「現在」は、我々の「現在」にもそれぞれ違った影響を及ぼすことだろう。

この日出逢った彼女や、今まで出逢った人たち、その他諸々の箱を開けて、俺は過去を創った。
これからまた逢う人たちの「箱」と、もちろん今まで逢ってきた人たちと再びどう接するかという「箱」が、無数に横たわり、どの箱を開けるかによって、またの新しい「過去と現在」を創り出す。
そして、それは、「箱の中身」は開けて見るまで全く分からない。

俺は今まで数多くの挫折を繰り返した。
そのなかにはひどいものもあった。善意というものが、こんなにも裏返し返ってくるものかと、やり切れないこともあった。
俺のそうした過去はただ単に不遇のものだったのか。

そうではないのだ。
例えば、いつか希望が叶うことがあったら、「過去のお陰で今がある」と感謝することは出来る。
それも間違いではないが、もうひとつ言葉を付け加えたい。

俺が開ける扉は、未来を変えるだけではない。
それだけではなく、俺は未来に扉を開けることによって、変化し続ける過去と現在を選択しうるのだ。

 

P.S. しずさん、遠いところわざわざありがとうございます。
お店に復活して、お金が溜まったら、今度は逆に奢って下さいね(笑)

 

 

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